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Interview

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――当時のマッドハウスの様子はどのような感じでしたか。

佐藤 いやもう今じゃ絶対考えられないですよ。タバコが灰皿にてんこ盛りだし。初期のマッドの面子って麻雀が好きな人が多かったので、スタジオの中に麻雀部屋もあってね。アウトロー集団みたいな、そんな感じでした。それでいて絵には厳しい(苦笑)。
絵ですごく刺激を受けたのは……川尻さんはもちろんなのですが、憧れという意味では兼森(義則)さんですね。入ってすぐやった『YAWARA!』は兼森さんがキャラデザだったのですが、あれを見た時に、「うわ! 柔らかい絵だな」と思って。「俺はこういう絵が描きたいんだよな」と。いまだに描けませんけど、絵描きとして憧れるタイプの人でしたね。もっと緻密でいかつい絵を描く人や、劇画タッチで描く人は他にもいたのですが、「自分が好きなのはこっちだな」と。そういうジャンルが選べるくらい、マッドハウスのなかにはたくさん上手い人がいて。年齢が近い箕輪(豊)くんも若いときからめちゃくちゃ上手でしたしね。……ううん。絵に関しての課題はいくらでも出てきちゃいますね。だから飽きずに仕事をしているんだと思います。挫折はしょっちゅうなんでね。

――いえいえ。いっぽうで芦川さんは佐藤監督とはだいぶ世代が違いますが……。

芦川 気持ちは一緒です!

佐藤 ちなみにうちの長男とほぼ同じ年齢です。

――歴史を感じますね(笑)。芦川さんはどういう経緯でマッドハウスに入社されたのですか。

芦川 10代の頃によくアニメを見ていて、元々はアニメーターになりたかったんです。で、親に相談したら「専門学校じゃなくて、美大に行きなさい」となって、美大に行きまして。でも、絵を描いてみたところ「アニメーターじゃないな」と。

――どうしてですか。

芦川 動きに対する興味が、さほどなかったんですよ。止め絵の練習はしていたのですが、それをいざ動かす段になったときに、興味がなかったことに気がついて。そのとき、他の学科の人と一緒にサークルに入っていて、実写で「特撮を撮りましょう」となって。

――そんなこともやっていたんですか。

芦川 その結果、いろんな科の人と一緒に作品制作するのも面白いなと。「アニメ業界でそういう仕事があるのかしら?」と調べたら、制作進行職の応募があったので、入ってみたんです。マッドハウスの他にガイナックスさんなんかも受けました。

――当時のマッドハウスにおける、お好きな作品はなんだったのですか。

芦川 今 敏監督の作品はよく拝見していました。『パーフェクトブルー』が好きでした。

佐藤 面白かったよね。

芦川 あのアクの強さがよくて、マッドを受けたいなと。作品を全部見ていたかというと、そんなこともなかったのですが、いろんな種類をやっている会社さんだったので。会社のなかでバリエーションがあるのはいいなと思ったんです。

――それで、無事に受かって最初は制作進行として入社されたのですね。

芦川 ええ。時代的には20人入って20人辞めるみたいな時代だったので。

佐藤 いやいや、一人ぐらい残そうよ(笑)。それじゃ全員だよ。

芦川 そのぐらいの規模感で人が入り、人が辞めてみたいな時代ではあったんです。蓋を開けてみたら大変過ぎる現場で「あ、これがアニメ業界か」ってね。ただ、そのときマッドハウスの1階に受付嬢さんがいらっしゃったんですよ。

佐藤 藤澤ビル全体の受付嬢さんだよね。

芦川 そう。就職活動に来てびっくりして。すごく立派な会社だなって。

佐藤 場違いだったよね(笑)。

芦川 現場に入った後で勘違いに気が付くんですけど。時すでに遅しで(笑)。

――芦川さんの入社時期はいつになるのですか。

芦川 2008年の春です。当時は『チーズスイートホーム』や『カイバ』を制作中でした。私が一番最初に配属された作品は、お蔵になってしまったんです。

――ちなみに、そのタイトルは……?

芦川 『シベリア超特急』です。

――ああ! アニメ化の発表はされていましたよね。

芦川 撮影も7割が終わっていたのですが、紆余曲折あってなくなってしまいました。それ以降もお蔵絡みになる作品に参加することが多くて。

佐藤 確か『チベット犬物語(〜金色のドージェ〜)』もやっていたよね。

芦川 あれはちゃんと公開されていますよ!

佐藤 完成までに紆余曲折あったからなあ。

芦川 そうですね。だから、「テレビじゃないと!」と痛切に思ったんですよ。そうじゃないと飛ぶかもしれないって。いまだに劇場を手がけるとヒヤヒヤしますね。世に出た作品で言うと、『はじめの一歩 New Challenger』が、テレビシリーズを進行で回させていただいた最初の作品で。右も左も分からない時期だったので、分からないなりに回していた感じです。

――その当時のマッドの作品の印象はいかがでしたか。

芦川 先ほどもお話ししましたが、作品数が多かったんですよ。

佐藤 謎の作品も多かったよね。途中で頓挫するのはだいたいアート系だったかな。テレビシリーズは動き出したら終わるまで作らなきゃいけないから。

芦川 とはいえ湯浅(政明)さんや、アート寄りな小池(健)さん、今さんもちょっとそういうところがあって、楽しかったです。

佐藤 あと荒木(哲郎)が『黒塚 KUROZUKA』をやったりしていたね。その前の『DEATH NOTE』はエンターテインメントで人気が高かったから。アニメを見た方の印象も良かったみたいで……。

――佐藤監督も、荒木監督とは一緒にお仕事をされていますよね。

佐藤 僕がやった『カイジ』(「賭博黙示録カイジ」)でも荒木君がコンテを切ってくれていて、めっちゃ面白くて。「あ、もう全然OK」ってそのまま通してね。フィルムにしてもらったら面白いものができてね。中村(亮介)くんも凄かったし、今活躍している人たちがいっぱい関わってくれていて。みんな立派になったなって。おじいちゃん目線です(笑)。

芦川 ただ、今と違ってオンエア合わせで作る作品が大半だったので。よく作っていたなとは思います。最新作の『AIの遺電子』も含めて、ここ数年、オンエアに直結していない作品ばかりなので。

佐藤 今あんな作り方をしたら、みんなメンタルがもたないんじゃないかな……。

 


佐藤雄三:監督/絵コンテ
サンリオ、スタジオぎゃろっぷ等を経て、マッドハウスで活躍中。代表作に『YAWARA!』(作画監督)、『MONSTER』(絵コンテ、演出)、『闘牌伝説アカギ〜闇に舞い降りた天才〜』、『逆境無頼カイジ』シリーズ(いずれも監督)などがある。近年では2022年1月放映の『ハコヅメ』で監督を務める。

芦川真理子:プロデューサー
2008年マッドハウス入社。『はじめの一歩』、『HUNTER×HUNTER』等の作品で制作としての経験を積み、デスク、設定制作、アシスタントプロデューサーを経て2022年1月放映の『ハコヅメ』からプロデューサーを務める。